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東京の火の見櫓、其の4(神田小川町編) [火の見櫓]

今回の東京火の見櫓ツアー(本当の上京目的は別ですが。)の最後の観察スポット。

前述の東京の火の見櫓は構造的に建築物一体のものや
モニュメントとして近年新築された復元櫓だったりでしたが、
私たちが普段見慣れている鉄骨造のタワー型火の見櫓も
都心でも探せば残っていたりするもので。

2012.04.15.27.JPG

神田小川町にある、神田消防署駿河台出張所の火の見櫓。
施設の周辺ははるかに背の高いビルが密集していて、
おそらくかなり早い段階から火の見の用途はなくなっていたと思われます。
建物の屋上に固定されているとはいえ、基本は独立した櫓なので
解体しようと思えばいくらでもできたはずですが、こういうかたちで
都心のど真ん中に残っているのはある意味奇跡に近いかもしれません。

2012.04.15.28.JPG

まあどのみちホースを干すタワーが必要になるわけだし、
老朽化しているわけでもないから使えるうちはホース干し用に
残しておいてもいいでしょう、、、と、いう感じなのかなという気がします。
私たちの周囲にある消防団詰所に隣接する大半の火の見櫓に課せられた
現代の存在意義と同じような環境のようですね。

で、肝心の火の見櫓ですが。
建物の裏側寄りに立つため、正面よりこちらのほうがしっかり観察できます。

2012.04.15.29.JPG
2012.04.15.35.JPG

デザインとしては屋根が無い点を除けば、標準的な4本脚タワーの形状。

2012.04.15.31.JPG
2012.04.15.32.JPG
2012.04.15.33.JPG
2012.04.15.34.JPG

今回、運よく隣接のビルの踊り場に入らせてもらうことができたので、
火の見櫓を上部から観察することが出来ました。
この角度かつこの至近距離で拝める場所はそうあるものではないです。

構造は踊り場が1段あって、見張り台は四角型。
残念ながら半鐘は確認できませんでした。
いつ頃から立つものなのか、手元に情報がないので分かりませんが、
出張所の建物自体は昭和3年(1928)建築だそうですから、
まだ周囲に高層建築がなく火の見櫓としての機能を果たしていた時代が
確かにあったのだろうとはじゅうぶん推測できるところです。

一見華奢に見える建物も、耐震診断結果では現代の基準に当てはめても
十分性能は出ているそうです。関東大震災の教訓から相当頑強に造られたのでしょう。
デザインはシンプルですが、車庫や通用口の庇部分に建築当時の
さりげないこだわりのデザインが垣間見られます。
2012.04.15.30.JPG

広尾小学校や高輪の二本榎出張所のように歴史的価値を公の機関に
認められた建物ではないですが、大都会の真ん中に踏ん張って立つ姿を見ていると
思わず頑張れとエールを送りたくなるような気持ちになります。

今回の東京出張を兼ねた火の見櫓観察ツアーは雨降りで予定も大幅変更となり、
ちょっと残念な部分もありましたが、最後にこの小川町の消防署と櫓を見ることが出来て
ホッコリした気分で帰路に着くことができてよかったです。
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東京の火の見櫓、其の3(江戸川区新川西水門編) [火の見櫓]

日本の火の見櫓の発祥は江戸の町というのが通説。
形状は様々、江戸時代は幕府の指図で今で言うデザイン規制もあったようですが、
囲い櫓(という表現が適切か知らないけれど)のタイプは、
なんとなく江戸の匂いを感じさせるものがあります。

東京の火の見櫓観察レポート。
3番目は江戸川区の新川西水門広場に立つ火の見櫓。
2012.04.15.23.JPG(後方の高架は首都高速。)

立派な木造の火の見櫓。
正統派の都市型(という表現も適切かどうか知らないけれど)の櫓ですが、
じつはつい2年ほど前に新築された、出来立てホヤホヤの櫓だそうです。
2012.04.15.22.JPG

傍らを流れる新川はかつて水上の「塩の道」とも言われていた要路。
数年前、耐震と親水を兼ねた護岸整備計画が行われる際、
地元で新しい江戸川の名所を作り上げようという声が上がり、
新川千本桜計画と銘打って、桜並木のある水辺環境と広場の整備が実施されました。

平成22年、一帯のモニュメントとして、高さ15.5mのかなり大型な火の見櫓が完成。
まあ正確には火の見としての実績があるわけでもなく、
今後もそうした使われ方をする予定もないでしょうけれど
火の見櫓とは言わないのでは?・・・などという野暮なことは言いません。
地域の新しいシンボルタワーとして親しまれる存在に育って欲しいと思います。

今回自分が所用のため東京に出かけたのは土曜日。
そしてこの火の見櫓は土日の10時~15時に内部見学で開放されているらしく、
これは絶好のチャンスとばかり意気込んでいたのですが、
荒れた天気と直前のちょっとしたトラブルのため、見学可能時間内の訪問が叶わず、
やむなく夕暮れ時になってから外観のみの観察となった次第。
2012.04.15.24.JPG
2012.04.15.25.JPG(桜並木、満開の時はいい景色でしょうね。)
2012.04.15.26.JPG(後方の橋桁が妙に気になる・・・)

実際に間近で見ると15mもあるような感じがしないのですが、
全体のボリュームが大きいのでそう感じるだけなのでしょう。

それにしても事前に内部の様子を写した画像などを事前にネットなどで見ていたので
生で内部見学できなかったのは、かえすがえすも残念。
まあ・・・仕方ないです。
今回は広尾小学校、高輪消防署二本榎出張所に引き続き、
また再訪したい火の見櫓の観察ツアーだったと思うようにします、はい。

江戸川区HP内(新川千本桜)

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東京の火の見櫓、其の2(高輪消防署二本榎出張所編) [火の見櫓]

小学校の望楼の次は、消防署の望楼。

消防署といえば火の見櫓がつきもの、、、だったのは昭和時代までのお話。
通信技術と防災全般の時代的変化に呼応するかのように
町や村から火の見櫓が撤去されていくなか、
消防署付属の望楼とて例外ではいられず。

新しく建てられる消防署に火の見のための望楼が作られることはまずなくて、
古い建物からは順次撤去されているような有り様で。

で、そんな時代の流れにあって今なお望楼が残されているのがここ。
2012.04.15.9.JPG

東京消防庁高輪消防署二本榎出張所の火の見櫓。
いまは出張所に降格(?)しちゃってますが、
もとはここが高輪の本署だったようですね。
2012.04.15.10.JPG(なにせ文字が右からですし。)

建物は昭和8年に建てられた、ドイツ表現派の建築設計。
(ドイツ表現派または表現主義についての説明は面倒なので割愛。。。)
平成22年に「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。

2012.04.15.8.JPG(塔頂部のタワーは後付け。)

RC造3階建てで、3階の円形講堂の上に望楼が在ります。
ここは希望すれば内部見学が可能らしく、せっかくなので入ってみることに。
ベテラン署員の方が丁寧に応対して頂き、ざっと見学。
円形講堂内部はちょっとした消防博物館のような感じになっていて、
消防関係の古い装備具などが展示されていました。
消防署付近を撮った古写真や明治初年頃の古地図などもあって
ブラタモリ気分を味わった感覚。
2012.04.15.19.JPG(アーチ状の梁と窓の構成が美しい。)
2012.04.15.11.JPG(ガス燈。もちろん今は使ってません。)
2012.04.15.12.JPG
2012.04.15.17.JPG
2012.04.15.13.JPG(古い半鐘。立派です。)
2012.04.15.14.JPG
2012.04.15.15.JPG
2012.04.15.16.JPG
2012.04.15.21.JPG
(消防署といったらやっぱりこれっ、すべり棒! でも今はもう使ってないそうです。)

建物のある場所は海抜25mある台地の上で、
周囲に高層建築が出来るまでは海まで見渡すことができたらしく、
海上から望むと望楼は灯台のように見えたも伝えられ、
戦艦三笠を模したとも言われたその姿は「海原を行く軍艦」とも評されたそうです。

また写真は撮ってきませんでしたが、道路を挟んだ南隣には
警視庁高輪警察署があって、消防署員の話によれば昔の警察署の建物にも望楼があり、
当時は両者がツインタワーのような感じに見えて評判だったとのこと。

残念ながら肝心の望楼は一般公開されておらず、
急勾配の階段下からちょこっと見上げてみるだけ。
2012.04.15.18.JPG(この上が望楼)

署員の人も点検の時など以外は上がることはないそうです。

火の見ヤグラーでなく純粋に建築家の来訪も多いそうで、
自分もその筋のはしくれとして興味深く見学しましたが、
いかんせんその後のスケジュールのこともあってゆっくり過ごす事ができず、
ここも広尾小学校と一緒で再訪のチャンスを伺う事になりそうな。。。
2012.04.15.20.JPG

ちなみに火災予防週間などでは望楼のライトアップを行っているらしく。
これはライトアップのタイミングを狙って再訪、かな?

昭和50年代の建替え計画が持ち上がった際、保存活用を決めた経緯には
地域住民の保存に対する熱意の影響も少なくなかったといいます。
周辺には高層ビルも林立していますが、その存在感は抜群。
望楼をそなえた近代化遺産の建物はまさに地域のシンボルタワーですね。
2012.04.15.7.JPG

東京消防庁高輪消防署HP

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東京の火の見櫓、其の1(広尾小学校編) [火の見櫓]

東京まで出張だった週末。
せっかくなので都内にある火の見櫓を観察しようと事前に情報を集めて
幾つか見て廻ることにしました。

合計で10箇所ほど調べていざ!・・・と意気込んでいたのに、
当日は時折強い風の吹き付ける冷たい雨。。。

傘をさしながらカメラを構えても、レンズに水滴がついてしまう具合で
なかなか思うような写真が撮れず。

それでも日頃、安曇野はじめ信州で目にするのとはまた違った光景に
触れることが出来、幾つかの貴重な火の見櫓を観察できました。

まず、小学校の屋上に立つ火の見櫓。
2012.04.15.1.JPG
JR恵比寿駅に近い、渋谷区立広尾小学校。
昭和7年に完成した建物で、当時は消防署が同居したことから
火の見櫓の役目を持つ望楼が設置されたとのこと。
2012.04.15.6.JPG
全体として近代化遺産としての要素を持っている建物で、
平成2年、東京都の歴史建造物に指定されて保存活用の動きが高まり、
平成12年、国の登録有形文化財になりました。
2012.04.15.3.JPG
2012.04.15.4.JPG
残念ながら小学校の屋上という特殊な場所なので間近に寄って見学できず、
付近の建物も外部の者が立ち入れる場所がなかったため
道路から見上げる姿しか観察できなくて。
2012.04.15.2.JPG
2012.04.15.5.JPG
(最後の一枚は近所の横断歩道の上から。でも遠くて厳しい・・・)

最近は学校も警備が厳しいようだけれど、平日の昼間に出かけたら
屋上へは上がらせてはもらえないだろうかなぁ。
(もし可能なら再訪問したい願望アリ。)

小学校と消防署の同居というのは当時は珍しくはなかったのかどうだか。
いづれにしても、その遺構がいまなお現役の状態でしっかりと残されているというのは
素晴らしいことだと思います。
歴史的な校舎というと木造ばかりが注目を浴びがちですが、
こうしたRC造のものでも趣きのあるものがけっこう残されているのですよね。

校舎と火の見櫓については広尾小学校のホームページに詳しい解説があるので、
そちらをご参照ください。
渋谷区立広尾小学校HP
(学校案内のページにある、“文化財としての広尾小学校”の欄。)
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諏訪地方の火の見櫓はインパクトが強いのが多い [火の見櫓]

スタンダードなタワー型の火の見櫓は、
脚柱を見ると3本脚が4本脚の二通りに大別できます。
安曇野エリアは比較的3本脚のパターンをよく見かけるのですが、
諏訪エリアはそのほとんどが4本脚のバージョン。
下諏訪あたりから岡谷方面にかけては3本脚もちらほら見えてくるのだけれど、
なんとなく3本脚と4本脚の文化の境界線を感じるようで興味深いです。

で、今日のネタは脚の本数の話ではなくて、
諏訪地方の南部へ出かけた時に見かけた、インパクトの強い火の見櫓たちの話。
2012.02.26.1.JPG
「東京タワーみたいで、すらっとしてカッコいいね」とか、
「見るのに電線がいっぱいで邪魔だね」とか、
そんなことがどうでもよくなるほど強烈な脚部末端の納まり。
2012.02.26.2.JPG
とにかく、刺さってるんです。
ええそうです。櫓の脚が、小屋の屋根に。

話には聞いていたのですが、実際に直接目にしたのはこれが初めて。
さすがにインパクト強かったですね。

ところが、です。
これは他には類例がないよね、なんて呟きながら車を走らせると・・・
そう、他にもあるのですよ、その類例がなんと。
2012.02.26.10.JPG
1枚目のはたしか屋根だけの貫通で済んでいたかと思うのですが、
こちらは屋根はおろか壁までもブスリと刺し抜けておりまして。
2012.02.26.4.JPG
しかもこの写真では分かりづらいですが、4本の脚のうち
後方の1本は屋根に突き刺したあと、足もとが外部に飛び出していない。
つまり小屋のなかにすっぽり納まっているという。
いやはや、なんというか・・・。

この2基、相方(?)の小屋の様子を見てみると
貫通部に若干継ぎ接ぎが確認できるとはいえ、
基本的には貫通孔をこじ開けたような気配。
つまり小屋が先で櫓が後と考えるのが自然だとは思うのだけれど・・・。
2012.02.26.5.JPG
3枚目のこれは・・・貫通、してません。
なんとかギリギリで櫓の足もとの内部に詰め所の建物が納まっています。
2012.02.26.6.JPG
2階部分は櫓の階段を利用して出入りするようになっている様子だけれど、
これは突き刺さった部分がないだけに、かえって築造年の順序に悩んでしまう。
火の見櫓のほうは昭和30年の築造とのことですが・・・。
やはり建物が先に在って、それを跨ぐ格好で火の見櫓が建てられたのか。
あるいは櫓の足元の寸法に合わせて建物を設計したのか・・・。
私は前者だと考えていますが、うーん・・・。

以上3箇所とも原村の限られたスペースで見かけたものです。
たぶん集落単位で設けられているのだろうと思いますが、
それにしても立派な櫓同士があまりに近所で存在しているので
圧倒されるというより、最後はもう苦笑いしか・・・。

で、苦笑いの最終章は、帰りがけに茅野市内で見かけた、これ。
2012.02.26.7.JPG
・・・原村だけではありませんでしたよ、はい。
きちんと、正しく、突き刺さっております。
2012.02.26.8.JPG
こうなる背景は敷地の問題だろうと推測できますが、
調査日が現地住民も外を歩かないような真冬のことで
裏付けを取ることができませんでした。
でも、たぶんそういうことなんだろうなと、
最後の写真の櫓を見た後、少し走らせたところにあった消防団詰所の
道路向かいの広場に立てられていた火の見櫓の様子を見て
なんとなくですが確信を抱いた次第。
2012.02.26.9.JPG
空き地があれば、普通はこうですよね。


今回の火の見櫓調査は別に目的の櫓があってそれを見学した流れで
なんとなく櫓の匂いがする方向へ車を走らせた結果見つけたものですが、
以前にU1さんの透明タペストリーにあった記事でこれらは紹介されていて
U1さんの火の見櫓講座でも諏訪地方の櫓として発表されていたような記憶もあったので
うまくすれば出会えるかなと期待はしていたのですが、
まさか一本の道路を数百メートル程度の走っただけですべて見つけられるとは、
諏訪地方おそるべし、です。
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児童公園の遊具とコラボする火の見櫓 [火の見櫓]

安曇野市堀金、中堀地区の火の見櫓。
先日FBで友達に教えてもらったので、豊科の仕事を終えた帰りに寄り道。
シルエットが美しいとのことだったけれど、なるほどたしかに。
2012.01.24.1.JPG
柱脚のわずかに曲線を描いた絞り具合がよく、全体のバランスがいい。
スピーカーが付属していないこともプロポーションのよさの要因でしょう。
足元がワイドで、一段目の横架材に踊り場がついているのが珍しいですね。
2012.01.24.2.JPG
でもこの踊り場のデザインが正面から眺めた際の良いアクセントになっている感じです。
2012.01.24.3.JPG
2012.01.24.9.JPG
半鐘は見張り台にはなく、二つ目の踊り場にだけ設置されています。
製作会社の銘板があるところが珍しい。
設置年は手書きで刻まれていますね。(写真では読み取れないですが。)
2012.01.24.4.JPG(「1959.8月」と彫られています)

中堀の集落中心を貫く街道と拾ヶ堰の交差点脇にあり、
堰を挟んだ斜め向かいには地区の公民館。
背後には集落の神様、神明社の鎮守の森が存在し、
隣接地には神社の(たぶん)山車保管庫が。
2012.01.24.5.JPG
2012.01.24.6.JPG
2012.01.24.7.JPG

まさに集落の中心地に立つシンボルタワーですが、
ここはなんといっても道路向かいにある児童公園との関係でしょう。
2012.01.24.8.JPG
遊具とのコラボレーションがいい感じです。


より大きな地図で 中堀公民館の火の見櫓 を表示
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真々部の火の見櫓はとってもスリムなモデル体型 [火の見櫓]

国道147号線沿い、真々部公民館のすぐ傍に立つ火の見櫓。
道路は直線で周囲に高い建物はない見通しの良い場所なので、
車で走らせていてもかなり遠くから気づくことができる櫓。
2012.01.22.1.JPG
脚柱の絞りはさほどでもないけれども、足元の広がりもさほどではないため
かなり細めのスラッとしたモデル並みスタイルといえるかも。
2012.01.22.2.JPG
背丈がそこそこあるわりには踊り場もなく見張り台まで梯子がストレート。
消防団員でも上り下りはけっこう緊張するのでは?
2012.01.22.3.JPG
スタイルがよくてスピーカーも付属していないのは好印象なのだけれども、
惜しいのは避雷針が根元から(折れて?)倒れかけてしまっていること。
きっと消防団ほか地元の人も気づいているだろうけれども、
屋根の上側で簡単に直せない場所ということで、
そのまま放置されているのだろうと思われ。
加えて、赤錆が全体に出てしまっているのが、ちょっと残念です。

あと、細かいことですが、
豊科(とくに南部の高家地区)で目に付くことですが、
「火の用心」の大きな看板が足元に立てかけられていて。
2012.01.22.4.JPG
コンパネに描かれたバージョンは、飯田公民館脇の火の見櫓にもありました。
やはり地域でなにかしらの約束事があるような気がしてなりません。
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松本市奈川の火の見櫓3(あれやこれや) [火の見櫓]

さきの2エントリーとは別にある奈川の火の見櫓を紹介。

2012.01.13.18.JPG
2012.01.13.19.JPG
2012.01.13.20.JPG
奈川の古宿という、奈川支所に程近い集落。
昨日のエントリー記事に載せたものと同タイプ。たぶん、双子。
足元から一段目の横軸までいったん柱脚を絞り込んで、
そこから曲がりを付けずに見張り台まで直線のまま控えめに絞込み。
見張り台は多角形で屋根がそれより一回り小さい。
避雷針や細部の飾りまで瓜二つ。おまけに照明器具まで同タイプ。
強いて違いをあげれば半鐘がセンター吊りが持ち出しか、くらいかな。

で、「まあ同じ村だし、同じ鉄工所が作れば同じものがふたつあっても・・・」
などと思いながら車を走らせていると、さらに一基。

2012.01.13.21.JPG
2012.01.13.22.JPG
2012.01.13.23.JPG
田ノ萱という集落。先の古宿地区から少し下流に行ったあたりで、
これまたまったく同型の火の見櫓を発見。
けっきょく双子ではなく三つ子だったという話。

両者とも野麦街道の旧道と思しき、それぞれの集落内の中心的な場所に立っていました。
錆び具合まで似せなくてもいいのになぁ、と思ってみたりもして。

2012.01.13.24.JPG
三つ目に見つけた櫓は中ほどにも半鐘の付属しているのが特徴ですが、
古宿のほうにも半鐘を吊り下げていたと思しき持ち出し梁のような単管があったので、
たぶん取り外してしまったのだろうと推測。

“みんな違ってみんないい”というのが火の見櫓鑑賞の真髄なはずですが、
ここまでそっくりさんが続くと逆に「いったいいくつ同型があるのだろう?」
という興味も沸いてきます。

ちなみに奈川集落の火の見櫓は他にもまだまだ。
確認できたなかでは以下のふたつもありましたので、参考までに添付します。

2012.01.13.9.JPG
2012.01.13.10.JPG
寄合渡地区の外れあたり。
背景の小屋と合ってたりするのですが、やはり錆び具合がちょっと残念。
でも半鐘はいいもの使ってますね。

2012.01.13.15.JPG
2012.01.13.16.JPG
2012.01.13.17.JPG
金原下というバス停の目印のような火の見櫓。
これら2基とも、なんとなく安曇野市三郷地区で多数見かけるタイプに似ているような。

奈川ではいまのところ6基の火の見櫓を確認。
まだどこかに隠れていそうな気配です。
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松本市奈川の火の見櫓2(控えめタイプ) [火の見櫓]

“火の見”櫓と言っちゃっていいのか?、、、というタイプはどこにでもありますが、
これもまたそんなジャンルのひとつに数えられると思われるので、アップします。

2012.01.13.13.JPG
推定背丈、約2.5メートル。
・・・そんなにもないかも。

2012.01.13.11.JPG
2012.01.13.12.JPG
これ、かなりの傾斜地の中腹を拡幅整備した感じの道路の上方にあるのですが、
ヤグラーじゃなければおそらく気づくことはないだろう櫓に気づいていしまう自分っていったい・・・。

道路の下方にも上方にも集落があるようで、この櫓はその中間に位置する感じ。
なんていう位置関係よりもこの形状と大きさに関心が行くわけですが、
立っている位置がそもそも高台なので、櫓そのものを高くする必要がなかったのだと思います。

2012.01.13.14.JPG
半鐘はいまどきのすっきりした表面仕上げのタイプですが、
噂に聞く“中山式半鐘”のラベルをここで初めて拝見することが出来ました。
この中山式なるものが登録商標なのか商品名なのか、
はたまたこうした半鐘のスタイル全般を指していうものなのか、
真相は定かではありません。誰か知っている人がいたらコメントください。
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松本市奈川の火の見櫓1(スタンダードなもの) [火の見櫓]

推定約2300基存在するとも言われる信州の火の見櫓ですが、
安曇野のように小さな集落単位であちこちに立っている状況だと
それ以上の数があるのではと勘ぐってみたくもなります。

山間部にはいっても小さな集落単位で、というのは当たっているようで、
松本市奈川地区にも、大小さまざまな火の見櫓が何基も立っていました。

奈川のなかでも野麦峠に近い集落(寄合渡地区)の火の見櫓。
2012.01.13.4.JPG

集落の間を抜けていく川沿いに静かに立ってます。

2012.01.13.5.JPG
デザイン的にはかなりスリム。
錆の進行の進んでいるのがちょっと残念。
半鐘も錆びた感じで寂しさが漂います。
2012.01.13.6.JPG

踊り場はなく、見張り台は丸型でも六角形でもなく、かなりの多角形タイプ。
屋根は見張り台の大きさに対してやや小さめで、バランス的に頭がちっちゃい感じ。
全体デザインがスリムに感じるのも屋根の大きさも関係しているかな、と。

2012.01.13.7.JPG

立っているのは川に沿った細長い集落の中ほどの位置で、
傍には相当数の石造物の一群が存在しています。
寄合渡石造物群。
道祖神、馬頭観音、二十三夜塔、庚申塔etc・・・。
安曇野でもお馴染みの石造物オールスターキャストが勢揃い。
さっくり数えても50基以上はあったかと思われ。

2012.01.13.8.JPG

火の見櫓の立ち位置に道祖神やその他石造物がセットで存在するのは
そこがやはり地域=集落の中心地的な意味が強いと思うのですが、
ここまで揃っていると壮観ですね。

ちなみにこの火の見櫓と同タイプのものは
同じ奈川地区内で何基か見かけました。
同時期に建設された、または同じ鉄工所の製作なのでしょうね。
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