豊科の福俵引きは奇祭と呼ぶに相応しい伝統行事 [伝統行事]
昨日は豊科の成相新田地区にて小正月の恒例“あめ市”が行われ、
伝統行事である「福俵引き」を取材してきました。
じつはこの行事を生で見るのは初めてだったのですが、
いやぁ、じつにユニークですね。
(引廻される福俵)
成相と新田、両地区にてほぼ一週間前に立てられた御柱には福俵が添えられていて、
その俵をあめ市当日に地元の若衆がまちなかを引き回すのです。
(火の見櫓がいい感じです)
(市神様の前で俵練りで行事スタート)
両方同時進行なので今回は新田地区をメインで見学。
(通行中の車も一時停止の協力を)
(新田の俵は矢原堰。成相は別の場所で)
朝の8時半頃に御柱のあった公民館前をスタートして国道147号を北上。
矢原堰に俵を浸してお清めします。
ここで若衆の頭が俵に乗り移って大きく揺らすのも伝統なのだそう。
(まず新田の若衆が振る舞いを)
(遅れて成相が到着)
拝殿前に集合するまで、両地区の福俵が合流することはなく、
新田側が振る舞いを受けている間、成相側はしばし待機していました。
(新田が移動していって)
(今度は成相の若衆が振舞われます)
その後、ふたたびまちなかに戻ってきて沿道の商店からの振る舞いを受け、
成相区内にあるまちづくり会館前の特設拝殿に集結。
ここでそれまで別行動だった両区の福俵が合流して、祭りはピークとなります。
(ここで両者揃って俵練り)
まず手綱を持つ若衆が回りながら俵を上下させる“俵練り”を行い、
その後、人間ピラミッドのような組み合いをするのですが、
まず一番下に両区の氏子総代や区長、公民館長などといった“お偉いさん”が寝そべり、
その上に俵を乗せ、周囲を取り囲むような感じで櫓を組んでいきます。
(新田の役員はうつ伏せ)
(成相の役員は仰向け)
一段目は7人、二段目は3人、そして最上部に頭がひとりで乗り上げ、榊を掲げます。
(祭りのクライマックスです)
このシーン、昔の写真など幾度か目にしていましたが、実際に拝むのは初めてで、
櫓の最下部に人が横たわっていることをぜんぜん知りませんでした。
古くから伝わる風習で、なぜ横たわるのかは諸説あるようなのですが、
一説には横たわる“偉い人”の上に俵を乗せ、その重みというものを
庶民が知らしめている様を示しているのだという話があるようです。
また横たわる姿勢も、新田地区の役員はうつ伏せ、成相地区は仰向けと、
それぞれに異なっているらしく、その理由もはっきりせぬなか伝統として継承されているようです。
福俵はその後、その年の慶事があった事業所に奉納されることになっていて、
そこでも俵を間に若衆と地元住民の綱引きが行われるわけです。
いづれにしても江戸末期頃から続くといわれる福俵引きは
この町独自の発展の中で形作られてきた無形文化財です。
まさに奇祭と呼ぶに相応しい地域の伝統行事。
昔のあめ市を知る人は「人出も少なく寂しくなった」とこぼしていました。
商店の閉鎖とか若者の減少とかいろいろ課題もあると思うのですが、
誇るべき地域の伝統文化ですし、祭りは住民の心をひとつにする絶好の機会。
こんな楽しいお祭りは、ずっと未来に繋げていきたいものです。
伝統行事である「福俵引き」を取材してきました。
じつはこの行事を生で見るのは初めてだったのですが、
いやぁ、じつにユニークですね。
(引廻される福俵)
成相と新田、両地区にてほぼ一週間前に立てられた御柱には福俵が添えられていて、
その俵をあめ市当日に地元の若衆がまちなかを引き回すのです。
(火の見櫓がいい感じです)
(市神様の前で俵練りで行事スタート)
両方同時進行なので今回は新田地区をメインで見学。
(通行中の車も一時停止の協力を)
(新田の俵は矢原堰。成相は別の場所で)
朝の8時半頃に御柱のあった公民館前をスタートして国道147号を北上。
矢原堰に俵を浸してお清めします。
ここで若衆の頭が俵に乗り移って大きく揺らすのも伝統なのだそう。
(まず新田の若衆が振る舞いを)
(遅れて成相が到着)
拝殿前に集合するまで、両地区の福俵が合流することはなく、
新田側が振る舞いを受けている間、成相側はしばし待機していました。
(新田が移動していって)
(今度は成相の若衆が振舞われます)
その後、ふたたびまちなかに戻ってきて沿道の商店からの振る舞いを受け、
成相区内にあるまちづくり会館前の特設拝殿に集結。
ここでそれまで別行動だった両区の福俵が合流して、祭りはピークとなります。
(ここで両者揃って俵練り)
まず手綱を持つ若衆が回りながら俵を上下させる“俵練り”を行い、
その後、人間ピラミッドのような組み合いをするのですが、
まず一番下に両区の氏子総代や区長、公民館長などといった“お偉いさん”が寝そべり、
その上に俵を乗せ、周囲を取り囲むような感じで櫓を組んでいきます。
(新田の役員はうつ伏せ)
(成相の役員は仰向け)
一段目は7人、二段目は3人、そして最上部に頭がひとりで乗り上げ、榊を掲げます。
(祭りのクライマックスです)
このシーン、昔の写真など幾度か目にしていましたが、実際に拝むのは初めてで、
櫓の最下部に人が横たわっていることをぜんぜん知りませんでした。
古くから伝わる風習で、なぜ横たわるのかは諸説あるようなのですが、
一説には横たわる“偉い人”の上に俵を乗せ、その重みというものを
庶民が知らしめている様を示しているのだという話があるようです。
また横たわる姿勢も、新田地区の役員はうつ伏せ、成相地区は仰向けと、
それぞれに異なっているらしく、その理由もはっきりせぬなか伝統として継承されているようです。
福俵はその後、その年の慶事があった事業所に奉納されることになっていて、
そこでも俵を間に若衆と地元住民の綱引きが行われるわけです。
いづれにしても江戸末期頃から続くといわれる福俵引きは
この町独自の発展の中で形作られてきた無形文化財です。
まさに奇祭と呼ぶに相応しい地域の伝統行事。
昔のあめ市を知る人は「人出も少なく寂しくなった」とこぼしていました。
商店の閉鎖とか若者の減少とかいろいろ課題もあると思うのですが、
誇るべき地域の伝統文化ですし、祭りは住民の心をひとつにする絶好の機会。
こんな楽しいお祭りは、ずっと未来に繋げていきたいものです。
福俵引きの写真を何枚か、安曇野市新田子ども会育成協議会の「便り」に引用させて頂きます。
詳細な記事があって大変助かりました
by 今泉 一 (2012-03-28 14:42)