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道祖神に色を塗る [伝統行事]

安曇野の道祖神の特徴のひとつとして、
彩色道祖神があります。

とくに双体像の道祖神を、それぞれおめかしよろしく
着物や表情に色を塗りこみ、彩色豊かな像碑を作り上げます。

といってももちろんすべての道祖神が対象というわけではなく、
現在でも彩色されているのは約600体と言われる安曇野の全道祖神のうち
旧穂高町の穂高神社近辺を中心に約20体ほどであると考えられています。

どの地区でも基本的に塗りの作業を行うのは地区の子供たちの役目。
大人の指導を受けながら、自分たちなりに色使いを考えて塗り上げます。

昨日は穂高の本郷地区の道祖神で彩色の作業が行われ、
好天にも恵まれたので少し取材に行ってきました。
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ここの道祖神は安政5年(1858)建立で、
大黒天+恵比寿さまたちと並んで祀られています。

エリア一体の彩色道祖神の中では比較的キレイに塗られていることと、
背景に常念岳が写り込む事、穂高駅から徒歩圏内にあることなどから
観光客などにもけっこう人気のある道祖神となっています。

今回は当然道祖神だけでなく大国さまや恵比寿さまたちもお色直しを行い、
三体そろってあでやかさを取り戻しました。
まあ、塗りの上手下手はこの際子供の手しごとということで。。。
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いつの頃からか始まった道祖神の彩色。
子供たちは、、、否、大人たちもその殆どが、本来の意味も分からぬまま
地域の伝統行事ということから続けている作業であると思います。
が、歴史を学び、それを地域の未来に生かしていくというのは
こういう素朴で地道な祭祀を通じて実践できることでもあるでしょう。

願わくば、この地区の道祖神祭りがいつまでも続きますように。
お色直しの済まされた道祖神に手を合わせつつ、
そんな願いを心の中で呟きました。
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(撮影日:2014年4月12日)
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三郷中萱の熊野神社例大祭、御船祭り [伝統行事]

毎年8月最終日曜日とその前日は、
安曇野市三郷の中萱地区の産土神である熊野神社の例大祭。

安曇野地方の多くの神社がそうであるように、
同社も例大祭では船をかたどった山車を集落から神社境内まで
曳航する神事が執り行われます。

天候が心配された今年でしたが、
なんとか当日は晴れ間が広がり、暑いくらいの陽気。
8月下旬ですが、秋の始まりを告げる安曇野の風物詩として
地元地区の人だけでなく、市民にも広く知られるイベントですね。

御船曳航は約1時間ほどかけて地区の中心から神社まで。
御船祭りといえば穂高神社が有名ですが、
この熊野神社も無形文化財に指定されるなど、
その規模では穂高神社に負けていない迫力を誇っています。

毎年、稲穂の実る田んぼのなかを引かれる御船の姿が
ガイドマップの表紙に採用されたりしているのですが、
近年はその“絵になる”水田が減反などの事情によって稲作が行われておらず、
かわりに水を張って「水鏡」に映る御船の姿を楽しめるようになっています。

これはこれで画的には悪くないのですが、
五穀豊穣を願う御神事でもありますし、
やはり稲穂のたわわに実るなかを引かれる御船の姿というのが
いちばんかなという印象で、ちょっと寂しい感じかなと。

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元旦の道祖神祭り:御柱立て(安曇野市三郷北小倉) [伝統行事]

皆様、新年明けましておめでとうございます。
辺境サイトのごとく世人の目に触れることのない拙い当ブログですが、
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げますm(_)m

さて、新年第一弾のエントリーは、やはり正月の伝統行事から。
(各画像はクリックすると別ウィンドウで開きます。)

今年は安曇野市三郷の北小倉地区にて行われる御柱立て。
北小倉地区内にある道祖神の脇に御柱を立てる伝統行事です。
昨年の初エントリーは同じ三郷の一日市場の御柱立ての話だったので、
2年連続同じネタでのスタートですね(^^)

昨年取材した一日市場東村のものは正月2日の朝9時頃でしたが、
北小倉のそれはまだ夜も明けきらない午前5時頃には始められます。
(準備その他はきっともっと早くから進められていることでしょう。)

5時半頃に現地を訪れると、まだ真っ暗な静まり返った集落の中から
子供たちの元気な掛け声が聞こえてきました。
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「おんばしらたて、来てくれやー!」
地域の子供たちがそう掛け声を発しながら集落を巡り歩き、
行事の始まりを告げて廻ります。
とくに当番制ではないので、前年に身内に不幸があった家などを除いて
全戸で行事に取り掛かるようです。

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北小倉の御柱立ては三箇所で行われます。
上村、中村、下村といったかたちで、昔からの小さな地域単位だそうです。
それぞれほぼ同時進行ですから、取材する側も大忙し。
距離はさほど離れているわけではないですが、山麓の集落ゆえに坂道で、
下村から上村への移動などはけっこう疲れます。

それでも何度か行き来しながら先陣を切って上村の御柱が立つところを
うまく撮影できました。

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シンプルに、でかいです!

2番手に準備の整ったのは下村。
ここの御柱が一番背丈があるかな?

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独特の木やり唄に合わせて、三方に分かれてロープを張ってバランスを保ち、
柱の背後から支柱などで支えつつ、途中木の枝や電線に引っかからないよう
気をつけて立ち上げられていきます。

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こちらは山麓線沿いの交差点に立てるので、車の往来を気にしながらの進行。
で、地元の消防団でも出て交通整理なんかするのかな?などと考えていたのですが、
交通整理なんぞ誰もしてなくて、車が来てもお構いなし。
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というか、この時間にこの辺を通過する車はみんな承知しているようで、
迂回したりしばらく様子を見て停車したり、車のほうが気を使ってくれているようで。
これも伝統行事の強さでしょうか(^^;
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最後に準備ができたのは中村。
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ちょうど初日の出の上がるタイミングに間に合いました。

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中村は上と下に比べて少し背丈の低い御柱ですが、
集落の戸数も3村のなかでは一番少ないらしく、
子供も少なくて行事の維持運営が他以上に大変なんだそうです。

この北小倉の御柱立ては長野県の無形民俗文化財に指定されていて、
行政からも助成金などの用意がされているそうです。
しかし3箇所の配分は人数割りになるそうで、
やっている内容がまったく同じでも各地区に入るお金に違いが出るため、
中村の人たちはその意味でも苦労があるのだそう。
均等割りのほうが理にかなっている気もするのですが、
どんなもんでしょうね?

御柱は、下村のもので約12.7メートルほど。
これに数メートルほどのお飾りが取り付けられるので、
全体の高さは15メートルを超えるものになっていると思います。
上村と中村はとくに遠くから見てもよく目立つので、
田舎に突如出現した巨大オブジェのような感じです。
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ちなみにこの御柱は6日の午前中に倒され、
お飾りはその日行われる三九郎にて炎に包まれます。

本来は子供たちの行事でもある道祖神祭り。
御柱立ては全村あげての行事でもあり、
他ではすでに祭が行われなくなったところも多いようです。
北小倉も大変なことは多いかもしれませんが、
今後も代々の子供たちに継承されて行くことを願ってやみません。

※フェイスブックのほうに動画をアップしました。
よろしければそちらもどうぞ(^^)
「北小倉 下村の御柱立ての様子、其の一」
「北小倉 下村の御柱立ての様子、其の二」
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豊科の福俵引きは奇祭と呼ぶに相応しい伝統行事 [伝統行事]

昨日は豊科の成相新田地区にて小正月の恒例“あめ市”が行われ、
伝統行事である「福俵引き」を取材してきました。

じつはこの行事を生で見るのは初めてだったのですが、
いやぁ、じつにユニークですね。

2012.01.16.1.JPG(引廻される福俵)
成相と新田、両地区にてほぼ一週間前に立てられた御柱には福俵が添えられていて、
その俵をあめ市当日に地元の若衆がまちなかを引き回すのです。

2012.01.16.2.JPG(火の見櫓がいい感じです)
2012.01.16.3.JPG(市神様の前で俵練りで行事スタート)
両方同時進行なので今回は新田地区をメインで見学。

2012.01.16.4.JPG(通行中の車も一時停止の協力を)
2012.01.16.5.JPG(新田の俵は矢原堰。成相は別の場所で)
朝の8時半頃に御柱のあった公民館前をスタートして国道147号を北上。
矢原堰に俵を浸してお清めします。
ここで若衆の頭が俵に乗り移って大きく揺らすのも伝統なのだそう。

2012.01.16.6.JPG(まず新田の若衆が振る舞いを)
2012.01.16.7.JPG(遅れて成相が到着)
拝殿前に集合するまで、両地区の福俵が合流することはなく、
新田側が振る舞いを受けている間、成相側はしばし待機していました。
2012.01.16.8.JPG(新田が移動していって)
2012.01.16.9.JPG(今度は成相の若衆が振舞われます)
その後、ふたたびまちなかに戻ってきて沿道の商店からの振る舞いを受け、
成相区内にあるまちづくり会館前の特設拝殿に集結。
ここでそれまで別行動だった両区の福俵が合流して、祭りはピークとなります。

2012.01.16.11.JPG(ここで両者揃って俵練り)
まず手綱を持つ若衆が回りながら俵を上下させる“俵練り”を行い、
その後、人間ピラミッドのような組み合いをするのですが、
まず一番下に両区の氏子総代や区長、公民館長などといった“お偉いさん”が寝そべり、
その上に俵を乗せ、周囲を取り囲むような感じで櫓を組んでいきます。
2012.01.16.12.JPG(新田の役員はうつ伏せ)
2012.01.16.13.JPG(成相の役員は仰向け)
一段目は7人、二段目は3人、そして最上部に頭がひとりで乗り上げ、榊を掲げます。

2012.01.16.14.JPG(祭りのクライマックスです)
このシーン、昔の写真など幾度か目にしていましたが、実際に拝むのは初めてで、
櫓の最下部に人が横たわっていることをぜんぜん知りませんでした。
古くから伝わる風習で、なぜ横たわるのかは諸説あるようなのですが、
一説には横たわる“偉い人”の上に俵を乗せ、その重みというものを
庶民が知らしめている様を示しているのだという話があるようです。

また横たわる姿勢も、新田地区の役員はうつ伏せ、成相地区は仰向けと、
それぞれに異なっているらしく、その理由もはっきりせぬなか伝統として継承されているようです。

福俵はその後、その年の慶事があった事業所に奉納されることになっていて、
そこでも俵を間に若衆と地元住民の綱引きが行われるわけです。

いづれにしても江戸末期頃から続くといわれる福俵引きは
この町独自の発展の中で形作られてきた無形文化財です。
まさに奇祭と呼ぶに相応しい地域の伝統行事。
昔のあめ市を知る人は「人出も少なく寂しくなった」とこぼしていました。
商店の閉鎖とか若者の減少とかいろいろ課題もあると思うのですが、
誇るべき地域の伝統文化ですし、祭りは住民の心をひとつにする絶好の機会。
こんな楽しいお祭りは、ずっと未来に繋げていきたいものです。
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正月の伝統行事、道祖神の御柱祭り@一日市場の東村 [伝統行事]

新年明けましておめでとうございます。
本年も安曇野での日常生活とまちづくりの話題を
折に触れてエントリーして行きたいと思いますので、
よろしくお願いします。

さて、新年はじめのエントリーは、やはり正月行事でしょう、というわけで、
本日午前に一日市場で行われた道祖神御柱祭りを取材してきました。

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三郷地区、一日市場の東村の道祖神御柱立て。
二体の道祖神に、安曇野南部では珍しい大黒様が寄り添っています。

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かつては村総出で行事を行っていましたが、
戸数が増えた現在は幾つかの組が年番で行っているそうです。
いづれにしても地域の皆で協力して行う正月の恒例イベントということですね。

2012.01.02.3.JPG
安曇野エリアでも旧三郷村地域は道祖神祭りの伝統が色濃く残されている地域で、
とくに正月の御柱の伝統が残されている土地柄でもあります。

今日訪問したこの一日市場東村地区の御柱祭りももちろんそのひとつで、
特徴は他にあまり例を見ない独特の「お道具」が御柱につくということ。

長さおよそ8メートルちょっとある御柱の中ほどに男根型のお道具を飾りつけ、
(ご丁寧に玉もちゃんとふたつ添えられている…)
柱の峰に付けられる三日月型の飾りは「女神様」と呼ばれています。

2012.01.02.5.JPG
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お道具に添えられているのは松の代わりの一位。
このふさふさした枝葉や白くて長い御幣にも、もちろん意味がありまして。

毎年こうして道具付の御柱を立て、村の平穏と五穀豊穣、子孫繁栄を願うわけですが、
江戸時代や明治の頃には「風紀上好ましくない」という理由から
このお道具は取り外されたことがあったそうですが、
その年に仲間内に病人が多数出たということで
それ以来取り外すことを誰も求めることがなくなったという伝承もあるようです。

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(正面はその年の恵方に向けて立てられるので、今年は南向きの道祖神とはほぼ真逆に。)

この一日市場東村の御柱は14日に倒されるまでこの姿のまま立っています。
ご覧になりたい方はぜひ。おススメの御柱です。

あと、同じ三郷の北小倉地区には県の無形民俗文化財指定を受けている御柱があります。
こちらもおススメ。(写真は北小倉の下村地区の御柱で、正月7日早朝に倒されます。)

2012.01.02.8.JPG(とても背の高い御柱です。)

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