カタクラモール再開発と火の見やぐら [マチヅクリ]
今朝(2014年6月14日)付けのローカル新聞各紙のトップ記事。
松本市中央の大型商業施設松本カタクラモールについて、
再開発計画を進めているイオンモールから計画概略が公表されたとのこと。
総店舗面積が現カタクラモールの約3倍という巨大なもので、
小売店規模として県内最大級になるとあります。
この再開発計画は商業面だけでなく景観、歴史文化など複数の側面から
地元住民や行政を絡めて様々な思惑と論議を巻き起こしています。
地元商業関係者が大規模店舗の拡充に警戒心を強める状況は
今にそしてここに始まったことではないわけですが、松本ではそれに加えて
もともと同地が製糸業の片倉工業が操業していた工場跡地で
現在は「カフラス」や「生物科学研究所」といった企業の近代建築物が残されており、
そうした歴史的建造物の行方についても市民団体などを中心に
保存活用の声が上げられていたりしました。
今朝の新聞記事によれば、それら建築物のうち
カフラスの事務所棟(昭和4年建築)と生物科学研究所の事務所棟(同11年建築)は
耐震工事の上保存活用の方針となっている模様ですが、
現在残る建物のすべてというわけではなさそうですし、そもそも計画自体が
まだたたき台というレベルですから、今後どう話が転ぶか不透明さは残ります。
で、ここからが本題(ようやく)。
自分が個人的に気にしているのは同社所有地に立つ火の見やぐらのこと。
(火の見やぐらについては別のブログで記事エントリーをしていますが、
今回はとくにまちづくりに関係する話なので、こちらで掲載します。)
片倉側が所有する現モールの周辺敷地は広大で、
そのなかに松本市消防団の屯所と火の見やぐらが現存しています。
借地の上に屯所を立てさせてもらっているという現状なわけですが、
再開発に伴って土地の明け渡しを求められたため、屯所は近所へ移設が決定。
同時に火の見やぐらは撤去解体という方針が市によって決まっているそうです。
(拙ブログ「狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々」をご参照下さい。)
同地に立つ火の見やぐらは松本市消防団第3分団の屯所脇に立っており、
3脚柱の松本地方では比較的スタンダードなデザインと高さを持つやぐらです。
やぐらに装着された銘板には大正15年10月製作とあります。
全国各地に現存する火の見やぐらは大半が鉄骨造であり、
戦後の昭和30年~40年代前半に建設されたものがほとんどです。
戦前よりすでに鉄骨造の建設は始まっていましたが、
戦時中の金属供出(金属類回収令)によって多くの火の見やぐらが解体回収され、
しかしながら、それでも解体を免れて生き残ったやぐらも少数ながら存在し、
全国各地に今もなおかろうじて残っているというのが現状です。
現在、火の見やぐらはその当初の役割を終えたものとして
全国各地で解体撤去が進行しています。
松本市内も多分に漏れず、市街地郊外問わず行政予算を付けて
どんどんと撤去され、変わってスピーカー付属の防災無線塔などが
各地の集落単位で建てられている状況です。
限られた予算編成のもとで市民のための防災設備充実を図るなかで
もはや使用していない(強いて言えばホース乾燥塔の役割しか果たしていない)
火の見やぐらが姿を消していくのは必然かもしれません。
しかし、火の見やぐらは地域の風景に溶け込み、
その地域づくりを象徴する安全遺産であり、まちの歴史の生き証人です。
火の見やぐらの建設資金捻出は地域によりまちまちではあるものの、
基本的に火の見やぐらは地域住民のために地域住民が建てるものです。
カフラスや生物科学研究所の建物も確かに立派な近代建築物で
その価値は保存活用を進めるに値するものだと私も思いますが、
ここに立つ火の見やぐらは建設年代においてはカフラスなどのそれより古く、
なによりその存在には防災を芯とする地域づくりの象徴的意義があることを
私たちは改めて理解する必要があるのではないかと思うのです。
そうした火の見やぐらの歴史的価値と地域づくりの象徴として
少数ながらも国登録有形文化財となっている火の見やぐらも存在します。
江戸期推定の木造やぐらもありますが、鉄骨造で絞れば
製作年代は大正12年~昭和26年の範囲となっており、
年代に限っていえば少なくともカタクラモール傍に建つこの火の見やぐらもまた
登録有形文化財となってもおかしくない歴史的価値があるのではないでしょうか。
大正から昭和にかけて(あえて言えば平成の現在に至るまで)、
地域住民の安全を見守り続けてきたこの火の見やぐら。
ただお役ご免だから解体しますね、だけで済ませるというのでは
あまりに切ないものがあります。
松本市民ではない一介の火の見ヤグラーが外野でぼやいたところで仕方ないですし、
一度決まってしまった解体方針が覆ることはないかもしれませんが、
カフラスなどの保存予定建物も一部は移設の上ということのようですし、
この火の見やぐらも地域づくりの歴史的建造物としてその価値を多くの人で共有し、
新しく整備されるモールのどこかに移設再生活用する道が切り開けないかと
ささやかながら願望している次第です。
モール再開発計画と真剣に向き合っている地域の各団体や個人の方々にも
消え去ろうとしている火の見やぐらの価値をぜひ再発見してもらいたいですし、
開発主体のイオンモールにも地域を大切に思う気持ちがあるのであれば、
例えば火の見やぐらを引き取り、町と商業施設を結ぶ新たな地域づくりの
象徴=シンボルタワーとして保存に動いてもらえないかと、切に願うところです。
(記:2014年6月14日)
(6月18日、名称に誤りがありました。
×「生物化学研究所」 → ○「生物科学研究所」です。
お詫びして訂正いたします。)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
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松本市中央の大型商業施設松本カタクラモールについて、
再開発計画を進めているイオンモールから計画概略が公表されたとのこと。
総店舗面積が現カタクラモールの約3倍という巨大なもので、
小売店規模として県内最大級になるとあります。
この再開発計画は商業面だけでなく景観、歴史文化など複数の側面から
地元住民や行政を絡めて様々な思惑と論議を巻き起こしています。
地元商業関係者が大規模店舗の拡充に警戒心を強める状況は
今にそしてここに始まったことではないわけですが、松本ではそれに加えて
もともと同地が製糸業の片倉工業が操業していた工場跡地で
現在は「カフラス」や「生物科学研究所」といった企業の近代建築物が残されており、
そうした歴史的建造物の行方についても市民団体などを中心に
保存活用の声が上げられていたりしました。
今朝の新聞記事によれば、それら建築物のうち
カフラスの事務所棟(昭和4年建築)と生物科学研究所の事務所棟(同11年建築)は
耐震工事の上保存活用の方針となっている模様ですが、
現在残る建物のすべてというわけではなさそうですし、そもそも計画自体が
まだたたき台というレベルですから、今後どう話が転ぶか不透明さは残ります。
で、ここからが本題(ようやく)。
自分が個人的に気にしているのは同社所有地に立つ火の見やぐらのこと。
(火の見やぐらについては別のブログで記事エントリーをしていますが、
今回はとくにまちづくりに関係する話なので、こちらで掲載します。)
片倉側が所有する現モールの周辺敷地は広大で、
そのなかに松本市消防団の屯所と火の見やぐらが現存しています。
借地の上に屯所を立てさせてもらっているという現状なわけですが、
再開発に伴って土地の明け渡しを求められたため、屯所は近所へ移設が決定。
同時に火の見やぐらは撤去解体という方針が市によって決まっているそうです。
(拙ブログ「狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々」をご参照下さい。)
同地に立つ火の見やぐらは松本市消防団第3分団の屯所脇に立っており、
3脚柱の松本地方では比較的スタンダードなデザインと高さを持つやぐらです。
やぐらに装着された銘板には大正15年10月製作とあります。
全国各地に現存する火の見やぐらは大半が鉄骨造であり、
戦後の昭和30年~40年代前半に建設されたものがほとんどです。
戦前よりすでに鉄骨造の建設は始まっていましたが、
戦時中の金属供出(金属類回収令)によって多くの火の見やぐらが解体回収され、
しかしながら、それでも解体を免れて生き残ったやぐらも少数ながら存在し、
全国各地に今もなおかろうじて残っているというのが現状です。
現在、火の見やぐらはその当初の役割を終えたものとして
全国各地で解体撤去が進行しています。
松本市内も多分に漏れず、市街地郊外問わず行政予算を付けて
どんどんと撤去され、変わってスピーカー付属の防災無線塔などが
各地の集落単位で建てられている状況です。
限られた予算編成のもとで市民のための防災設備充実を図るなかで
もはや使用していない(強いて言えばホース乾燥塔の役割しか果たしていない)
火の見やぐらが姿を消していくのは必然かもしれません。
しかし、火の見やぐらは地域の風景に溶け込み、
その地域づくりを象徴する安全遺産であり、まちの歴史の生き証人です。
火の見やぐらの建設資金捻出は地域によりまちまちではあるものの、
基本的に火の見やぐらは地域住民のために地域住民が建てるものです。
カフラスや生物科学研究所の建物も確かに立派な近代建築物で
その価値は保存活用を進めるに値するものだと私も思いますが、
ここに立つ火の見やぐらは建設年代においてはカフラスなどのそれより古く、
なによりその存在には防災を芯とする地域づくりの象徴的意義があることを
私たちは改めて理解する必要があるのではないかと思うのです。
そうした火の見やぐらの歴史的価値と地域づくりの象徴として
少数ながらも国登録有形文化財となっている火の見やぐらも存在します。
江戸期推定の木造やぐらもありますが、鉄骨造で絞れば
製作年代は大正12年~昭和26年の範囲となっており、
年代に限っていえば少なくともカタクラモール傍に建つこの火の見やぐらもまた
登録有形文化財となってもおかしくない歴史的価値があるのではないでしょうか。
大正から昭和にかけて(あえて言えば平成の現在に至るまで)、
地域住民の安全を見守り続けてきたこの火の見やぐら。
ただお役ご免だから解体しますね、だけで済ませるというのでは
あまりに切ないものがあります。
松本市民ではない一介の火の見ヤグラーが外野でぼやいたところで仕方ないですし、
一度決まってしまった解体方針が覆ることはないかもしれませんが、
カフラスなどの保存予定建物も一部は移設の上ということのようですし、
この火の見やぐらも地域づくりの歴史的建造物としてその価値を多くの人で共有し、
新しく整備されるモールのどこかに移設再生活用する道が切り開けないかと
ささやかながら願望している次第です。
モール再開発計画と真剣に向き合っている地域の各団体や個人の方々にも
消え去ろうとしている火の見やぐらの価値をぜひ再発見してもらいたいですし、
開発主体のイオンモールにも地域を大切に思う気持ちがあるのであれば、
例えば火の見やぐらを引き取り、町と商業施設を結ぶ新たな地域づくりの
象徴=シンボルタワーとして保存に動いてもらえないかと、切に願うところです。
(記:2014年6月14日)
(6月18日、名称に誤りがありました。
×「生物化学研究所」 → ○「生物科学研究所」です。
お詫びして訂正いたします。)
より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示
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