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穂高で「ひとちず」なるものを作ってみた [イベント]

昨日(11月30日)、穂高でイベントが一件。

安曇野まちなかカレッジ2014秋に参加するイベントのひとつで、
「つくろう!安曇野の“ひとちず”」という実践的ワークショップ。

「地図には建物や道路の情報はあるけど、そこに暮らす人の情報がないよね」
という、ひとりの信州大学生の話がきっかけで実現したもので、
主催は長野県の若手職員を中心にしたSHIPというグループ。
今回自分たちは安曇野ふるさとづくり応援団の立場で
地元住民として道案内などを含めたサポート参加しました。
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全体の参加者数は20名ちょっとで幾つかのグループに分かれ、
まちなかに出てまずは町の人々にヒアリングして回る実地作業。
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実地調査タイムは90分という短い時間、
この時期にしては暖かい昼間とはいえ季節は初冬で閉め切られている窓、
ただでさえ営業されている商店が減少しており、
なにより普段から歩く人自体極めて少ない穂高のまちなか。
各班とも調査対象となる人探しに苦労するかと思われたのですが、
いざ蓋を開けてみると、まあそれなりにヒアリングすることが出来まして。
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調査したのはもちろん商店だけでなく、地域の一般家庭の人々も。
この時期は菜っ葉の収穫と漬物にするための作業をしている人が多く、
幾つかの班でそうした作業中の住民の話を聞くことが出来ました。
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菜っ葉漬の準備風景というのは田舎ならではですね。

自分が同行した班では葱を収穫しているお母さんと出会い、
あれこれ世間話をしているうちに「ネギ、持ってくかい?」となりまして。
メンバー数名、それぞれネギを手土産に頂戴し、思わぬ収穫となりました。
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実地調査後は会場に戻り、出会った人たちの言葉を地図にまとめる作業。
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ほとんどが何気ない会話や昔話でしたが、
町のあちこちで出会った人の話はとても楽しく、
短い時間でしたがとても有意義なものでした。
一般参加した人たちもみな笑顔で楽しげで、
とくに今回は大学生など若い人たちの参加が多かったこともあり、
普段のまちづくりワークショップとはひと味違った空気を作り出せていました。

イベントしてはまずまず成功。
課題はこの貴重な体験を今後のまちづくりにどう生かすか。
いまのまちなかに足りないものは、なにはさておき歩く人の姿。
歩く人を増やすには、町の魅力を高めること。
町の賑わうための要素はいろいろ考えられますが、
商店などの人が立ち寄ることの出来る場所の創出もやはり肝となるわけで。
昔ながらの商店はもう店を閉めてしまって寂しい限りだけど、
かといって他の人がそこで商売をするには建物が売り買いされたり
テナントとして貸し出される機会があまりに少ないのがネック。
そうした、ややもすると閉鎖的であり閉塞感がただようまちなかに対し、
こうした地域住民の声を拾い上げていく活動が
なにかしらの呼び水になって、地域とそこを訪れる人とを繋ぐきっかけに
なりはしまいかと考えたりもしています。

町というのは本来もっとオープンな場であるべきですが、
田舎町ほど内に固まってしまったり、守りに入ってしまうきらいがあるように思えます。
今回の“ひとちず”のような若い子たちの積極的な活動が、
そんな固くなってしまった町を解きほぐすきっかけに育って行ってくれればいいなと、
そんなふうに感じた一日でした。
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新そばと食の祭典@安曇野、穂高神社 [イベント]

昨日と本日、2日間にわたり穂高神社の境内にて
新そばと食の祭典が開催されました。

昨年初開催されたイベント。
蕎麦どころとしてお蕎麦屋さんの競争も激しい(のか?)な安曇野ですが、
これまで名物としての蕎麦をテーマにした大きなイベントがなかったわけで、
商工会などが中心になって取り組んでいるものです。

穂高神社の境内をめいっぱい使用したイベントは
同じく境内を利用している夏のわさび祭りに匹敵する規模で、
食をテーマとしているだけに動員力はむしろこちらのほうが
あるのではと思えるほどです。
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2日目は駅前通りの一部も歩行者天国となり、
軽トラ市などもイベントの一環として開催。
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さらには我らが安曇野百選プロジェクトも2日目には穂高神社境内には
神社探検ウォークラリーを開催。
トータルで150名近い参加者に楽しんでいただきました。
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(百選プロジェクトとは・・・安曇野で、まああれやこれやといろんな楽しいことやってる
安曇野ブランドデザイン会議から育ってきた官民共同に近いプロジェクト。)

毎年ウォークラリーは2月のあめ市に合わせて
穂高のまちなかをテーマにして開催しているのですが、
やはりマンネリ気味なこともあって参加者も減少傾向でした。
ただ、これにはメインイベントの"あめ市”そのものの集客力が
ベタベタであるという点が問題の根本にあったりもしています。

あめ市の場合は2月の厳寒期というハンデもあるとはいえ、
やはりイベントの中身そのものに魅力が足りていないということなのだと思いますし、
それ以前に穂高の街そのものも活力が不足している側面も否めないのですよね。
いっそのこと、この11月の新しい祭典をあめ市にしちゃえばという
いささか(かなり?)乱暴な考えもちらついたりするのですが、
まあそういうわけにもいかないでしょう。

集客力のあるイベントを企画すればそのときは人は集まるんですけど、
それがなかなか持続的に人の流れを街中に持って来られない。
まあイベントの人の集まりを日常の風景に活用できていないのは
多くの街の大いなる悩みの種なんですけどね。

なんにせよ、この週末はとても賑やかだった穂高のまちなか(というか穂高神社界隈)。
まもなく訪れる本格的な冬の前に、みんなで楽しいひとときを過ごしました。

以上。
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熊の町、安曇野へようこそ!? [日常風景]

先月末頃より安曇野を賑わしているニュース。

「くま、クマ、熊…。」

そう、ツキノワグマが市内の各所に出没し、
連日のようにその情報がニュースとなって飛び交っています。

徐々に収束していくかと事態を見守っていましたが、
収束するどころか目撃情報は途切れず、人的被害も増す一方。

もちろん熊問題は安曇野だけに限らず全県レベルで問題となっており、
数日前にも塩尻市で女性が熊にかまれて大怪我をしたとのことらしく、
長野県の熊被害者数は記録の残る2006年以降で最多を更新した模様です。

毎度おなじみの大町市などでは
今年はすでに40数頭も捕殺されたとかいう話も聞きます。

安曇野でも連日目撃情報が発表されていて、
防災無線で目撃した、遭遇したという話が毎日のように放送され、
駅には「熊注意!」の警告ポスターが貼られて注意喚起されており、
早朝や日没前後は外を出歩く人もなく、
まさに安曇野はゴーストタウンの様相を呈し、、、
と、最後の一行は冗談ですが。

だいたい熊が人里に下りてくるのは山の餌確保が難しいからというのが
おおよそ正解と考えられる推測ではあるのですが、
話によると今年はどんぐりの実が不作らしく、
そのへんが影響しているのかなということ。

また熊が人里で頻繁に目撃されるようになるのは今に始まった話ではなく、
だいたい数年おきにそういう年が訪れる感じでしたが、
今年はとくに異常で、通常よく話の出る山麓エリアだけではなく
穂高駅前だったり小学校だったりといった街中エリアでも頻繁に
目撃されていたりするのが特徴です。

為に、小学校が臨時休校になったり、
街中なのに熊鈴をつけて散歩する人がいたりと、
困った事態が続いています。

まもなく冬も訪れますが、
熊は必ずしも冬眠すると限ったわけではないらしく、
餌さえあれば眠らないで活動続けるものなのだそうです。

決して熊の影に怯えながら生活する必要もないですが、
最近では物陰などに注意を払うのが癖のようになっていて、
いやはや何ともいえないですね。

安曇野市ホームページ熊情報

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(穂高駅に掲示された熊注意のポスター)

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カタクラモール再開発と火の見やぐら、その後 [マチヅクリ]

去る6月14日に当ブログにてエントリーした火の見やぐらに関する記事。

カタクラモール再開発と火の見やぐら

松本市内のカタクラモール一帯の再開発に伴い、
片倉工業が所有する土地に建っている消防団詰所が移転を余儀なくされ、
その移転に際して傍らの火の見やぐらが解体撤去されることになったという話。
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大正15年建設という、現存する火の見やぐらとしては歴史の古い
希少価値の高いやぐらということで何とか保存できないものかというのが
上記のブログの大筋だったわけですが。

じつはそのブログ記事と前後して、
松本市長宛てにメールを出しておりまして、内容は
「大正年代の火の見やぐらは貴重だから、例えばカタクラ側と協議して
新しいショッピングモールエリア内で保存再活用の道を模索できないか」
というようなもの。
もちろん自分なんぞが松本市長と面識があろうはずもなく、
市のホームページで一般募集している市長への手紙という投書コーナーを
利用しての意見提案だったわけなんですが、このたび
市のほうからその回答書が文書できちんと届きまして。

以下、その回答文書の内容を抜粋。

『消防第3分団の土地は片倉工業株式会社の土地を無償貸借しており、
火の見やぐらと詰所など建造物の所有&管理は松本市。
来年3月には構造物は撤去し、更地にして同社へ返却予定。
火の見やぐらは火の見の役割を終えており、新たな活用がなされていない、
老朽化による安全問題があるなどから、やぐらの活用を事業者に求めるのは困難。
・・・・・
但し、やぐらは大正15年築造で市内で最古の部類に入ると思われ、
形状も他の櫓とは趣を異にするものである。
現地での保存活用は難しいが、現状の図面作成や写真撮影による
記録保存調査を行うとともに、銘板など部分保存をし、活用方法を今後検討する。』

とまあ、抜粋というかほぼ全内容を要約したようなものですが。
結論から言うと、理想とする櫓のままでの保全は残念ながら無理ということです。
これは予算や民間事業者の事情もあるので難しいことは承知していました。
ただ、闇雲に解体撤去されて跡形もなく、人々の記憶からも消し去られてしまうような
寂しくも悲しい事態だけは回避できそうな"微かな可能性”だけは残されました。

記録画像や図面以外の実体として残されるのが銘板や半鐘だけなのか
あるいはその他の構造部位も相応に保存されることになるのかは
まだなんともいえませんが、少なくとも松本市行政として
火の見やぐらにほんのわずかでも関心を向けて頂いたことについては
前向きに捉えたいと思います。
もちろん、理想はやぐら全体の保全活用だったので、
寂しさが募るのは違いないのですが。。。

銘板とか半鐘などのちっちゃなパーツだけでなく、
もう少し容量の大きい、全体の何割かという形が認められるのであれば、
各地でたまにみかける見張り台&屋根部の保存転用などは
比較的現実的な話として可能性があるのではないかと思ったりもします。
近隣の実例では、大町市のあずまやへの転用例や、
山形村の小学校敷地への移転例などがあります。

大町市、宮の森自然園の見張り台転用例
山形村小学校に残る見張り台の移転例

というわけで、黙っていては解体撤去作業の際に銘板と半鐘だけ取り外して
あとの活用方法が見つからずに倉庫で埃にまみれるという可能性も無きにしも非ずなので、
今度はこの見張り台を半鐘とセットで新装カタクラモールの敷地に設置して、
来場する客のくつろぎスペースに活用するという提案を市にしてみようかと考えております。

(今回は同じ内容の記事を別宅ブログ「狛犬をめぐる火の見ヤグラーな日々」でも掲載します。)
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安曇野講座現地学習、中萱の巻 [ふるさとづくり応援団]

とっくに二学期の始まっている信州とは違い、
太平洋岸の大半の地方では今日が夏休み最後となる8月31日。
ここ安曇野では安曇野市教育委員会主催で行事が行われました。

「平成26年度 未来につなぐふるさと安曇野講座(安曇野検定準備講座)
現地学習『お船がめぐる義民の里を訪ねて』」

やたらと長いネーミングですが、
つまりは市の教育委員会が主催する安曇野に関連する教養講座の
野外学習を実施したということでして、今日はNPOのメンバーたちと
その手伝いに出向いてきました。

フィールドは貞享義民の里といわれる、三郷中萱地区。
江戸時代の松本藩で発生した農民一揆事件で貞享騒動というものがあるのですが、
その事件の発端となったのが、今回訪れた中萱という地区。

集落の一角にある貞享義民記念館は立派な建物。
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ここで騒動の顛末を展示とシアター上映で学習した後、
縁のある熊野神社や貞享義民社などを訪問し、
その後は屋敷林と古民家が連なる旧集落を散策。
その流れを自分たちがガイド役でコーディネートしたという次第。

熊野神社は地域の産土神社でもあり、この日は例大祭ということで
県下最大級ともいわれるお船が曳航されることもあって、
その見学も兼ねての訪問でした。
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これまで数多くのガイドウォーキングツアーを企画実施してきましたが、
なぜかこの中萱集落は対象になったことがありませんでした。
が、歩いてみるとここはけっこう見所というか、歩き応えのある、いい集落でして。
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集落周辺は水田が広がり、常念岳はじめ北アルプスが眺望でき、
なおかつ集落の安曇野らしい佇まいがなんともいえず。

義民館という観光にも利用可能な箱物があるとはいえ、
その筋では有名なお船祭りをもつ熊野神社があるとはいえ、
観光客にとってはまったくノーマークな存在の中萱集落。

JRの最寄り駅もあり、車の便も悪くないので、
PR次第で化ける素材をもっている土地だと思うので、
これから積極的に同地区の宣伝を行っていこうかなと思うわけです。
宣伝しても低俗化するほども客足が伸びるわけではなかろうというわけで、
早い話が訪れたもん勝ちですな。
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カタクラモール再開発と火の見やぐら [マチヅクリ]

今朝(2014年6月14日)付けのローカル新聞各紙のトップ記事。
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松本市中央の大型商業施設松本カタクラモールについて、
再開発計画を進めているイオンモールから計画概略が公表されたとのこと。
総店舗面積が現カタクラモールの約3倍という巨大なもので、
小売店規模として県内最大級になるとあります。

この再開発計画は商業面だけでなく景観、歴史文化など複数の側面から
地元住民や行政を絡めて様々な思惑と論議を巻き起こしています。
地元商業関係者が大規模店舗の拡充に警戒心を強める状況は
今にそしてここに始まったことではないわけですが、松本ではそれに加えて
もともと同地が製糸業の片倉工業が操業していた工場跡地で
現在は「カフラス」や「生物科学研究所」といった企業の近代建築物が残されており、
そうした歴史的建造物の行方についても市民団体などを中心に
保存活用の声が上げられていたりしました。

今朝の新聞記事によれば、それら建築物のうち
カフラスの事務所棟(昭和4年建築)と生物科学研究所の事務所棟(同11年建築)は
耐震工事の上保存活用の方針となっている模様ですが、
現在残る建物のすべてというわけではなさそうですし、そもそも計画自体が
まだたたき台というレベルですから、今後どう話が転ぶか不透明さは残ります。

で、ここからが本題(ようやく)。

自分が個人的に気にしているのは同社所有地に立つ火の見やぐらのこと。
(火の見やぐらについては別のブログで記事エントリーをしていますが、
今回はとくにまちづくりに関係する話なので、こちらで掲載します。)

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片倉側が所有する現モールの周辺敷地は広大で、
そのなかに松本市消防団の屯所と火の見やぐらが現存しています。
借地の上に屯所を立てさせてもらっているという現状なわけですが、
再開発に伴って土地の明け渡しを求められたため、屯所は近所へ移設が決定。
同時に火の見やぐらは撤去解体という方針が市によって決まっているそうです。
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(拙ブログ「狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々」をご参照下さい。)

同地に立つ火の見やぐらは松本市消防団第3分団の屯所脇に立っており、
3脚柱の松本地方では比較的スタンダードなデザインと高さを持つやぐらです。
やぐらに装着された銘板には大正15年10月製作とあります。
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全国各地に現存する火の見やぐらは大半が鉄骨造であり、
戦後の昭和30年~40年代前半に建設されたものがほとんどです。
戦前よりすでに鉄骨造の建設は始まっていましたが、
戦時中の金属供出(金属類回収令)によって多くの火の見やぐらが解体回収され、
しかしながら、それでも解体を免れて生き残ったやぐらも少数ながら存在し、
全国各地に今もなおかろうじて残っているというのが現状です。

現在、火の見やぐらはその当初の役割を終えたものとして
全国各地で解体撤去が進行しています。
松本市内も多分に漏れず、市街地郊外問わず行政予算を付けて
どんどんと撤去され、変わってスピーカー付属の防災無線塔などが
各地の集落単位で建てられている状況です。
限られた予算編成のもとで市民のための防災設備充実を図るなかで
もはや使用していない(強いて言えばホース乾燥塔の役割しか果たしていない)
火の見やぐらが姿を消していくのは必然かもしれません。
しかし、火の見やぐらは地域の風景に溶け込み、
その地域づくりを象徴する安全遺産であり、まちの歴史の生き証人です。

火の見やぐらの建設資金捻出は地域によりまちまちではあるものの、
基本的に火の見やぐらは地域住民のために地域住民が建てるものです。
カフラスや生物科学研究所の建物も確かに立派な近代建築物で
その価値は保存活用を進めるに値するものだと私も思いますが、
ここに立つ火の見やぐらは建設年代においてはカフラスなどのそれより古く、
なによりその存在には防災を芯とする地域づくりの象徴的意義があることを
私たちは改めて理解する必要があるのではないかと思うのです。

そうした火の見やぐらの歴史的価値と地域づくりの象徴として
少数ながらも国登録有形文化財となっている火の見やぐらも存在します。
江戸期推定の木造やぐらもありますが、鉄骨造で絞れば
製作年代は大正12年~昭和26年の範囲となっており、
年代に限っていえば少なくともカタクラモール傍に建つこの火の見やぐらもまた
登録有形文化財となってもおかしくない歴史的価値があるのではないでしょうか。

大正から昭和にかけて(あえて言えば平成の現在に至るまで)、
地域住民の安全を見守り続けてきたこの火の見やぐら。
ただお役ご免だから解体しますね、だけで済ませるというのでは
あまりに切ないものがあります。

松本市民ではない一介の火の見ヤグラーが外野でぼやいたところで仕方ないですし、
一度決まってしまった解体方針が覆ることはないかもしれませんが、
カフラスなどの保存予定建物も一部は移設の上ということのようですし、
この火の見やぐらも地域づくりの歴史的建造物としてその価値を多くの人で共有し、
新しく整備されるモールのどこかに移設再生活用する道が切り開けないかと
ささやかながら願望している次第です。

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モール再開発計画と真剣に向き合っている地域の各団体や個人の方々にも
消え去ろうとしている火の見やぐらの価値をぜひ再発見してもらいたいですし、
開発主体のイオンモールにも地域を大切に思う気持ちがあるのであれば、
例えば火の見やぐらを引き取り、町と商業施設を結ぶ新たな地域づくりの
象徴=シンボルタワーとして保存に動いてもらえないかと、切に願うところです。

(記:2014年6月14日)
(6月18日、名称に誤りがありました。
 ×「生物化学研究所」 → ○「生物科学研究所」です。
 お詫びして訂正いたします。)


より大きな地図で 狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々 を表示


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安曇野暮らしセミナーin東京銀座2014 [ふるさとづくり応援団]

本日、東京銀座の東京交通会館にある、ふるさと回帰支援センターにて
『安曇野暮らしセミナー』が開催され、安曇野ふるさとづくり応援団も
安曇野市とタイアップして参加してきました。

ふるさとづくり応援団安曇野支部が誕生して以来、
定期的に東京や大阪にて開催しているセミナーですが、
昨年からは安曇野市が主催する形となり、私たち応援団の側は
そのサポート役に回るかたちで行われています。
全般の仕切りは市の側が、セミナーの中身などは
NPOの側が主体的に関わるといったかたちで、
自分もNPOの紹介と移住希望者にとってのその存在意義を
簡単にですがスライドを使いながら説明させていただきました。

毎回、安曇野のセミナーは参加者が非常に多く、
会場主催のふるさと回帰支援センターが驚くほどの集客なのですが、
今回もとくに定員に対して大幅に人数を超過する結果となり、
相変わらず安曇野人気の高さを伺うことができました。

参加者の移住に対する感覚は人それぞれなので
まだ多数ある移住希望先のひとつに過ぎない人から
安曇野暮らしを熱望する方までさまざま。
安曇野というエリアは人気が高いとはいえもちろんパーフェクトな土地ではないです。
それでも高いポテンシャルで魅力ある条件が整っているのが
安曇野の生活環境だと思います。
決して手前味噌ではなく、これまでの移住を実現した人の数で
それは証明出来ているのではないかと。

とにかく、安曇野は安曇野です。
その地域の個性をしっかりと観察し、体験し、
その特性が移住希望者自身の求める生活スタイルとマッチングするなら、
ぜひ移住暮らしを実現して安曇野ライフを楽しんでもらいたいと思います。

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20回目のふるさとウォッチングin安曇野、開催しました [ふるさとづくり応援団]

好天に恵まれた昨日(4月13日)、
NPOふるさとづくり応援団主催の“ふるさとウォッチングin安曇野”が開催されました。

今回の会場は堀金エリアの下堀・扇町地区。
下堀諏訪神社を中心に複合扇状地である安曇野のほぼ中央部に展開する集落で、
古民家と屋敷林が背景の常念岳と絶妙なマッチングで、
素敵な街路景観を形成しているのどかな集落が、下堀と扇町の両地区。

その一方で両区を分断する形で南北に広域農道が走り、
沿線にはベイシアをはじめロードサイド店舗が軒を連ね、
また西側一体は大型の工業団地が操業するなど、
自動車社会となった近年の安曇野にとって商工業の中心地として
その存在感を増しつつあるエリアでもあり、事実として
下堀地区は大糸線の駅からも遠い場所でありながら
住宅地の造成が盛んで、新規転入世帯が今も増えている地区となっています。

まあ、そんなこんなの下堀扇町地区ですが、
天気がよかったのがホント何よりで、桜の咲き始めた街路を
参加者はのんびり散策を楽しんでいました。

今年度より年2回の開催となったふるさとウォッチングin安曇野は
次回10月頃開催予定。
会場は、、、近日告知予定(^^;v

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道祖神に色を塗る [伝統行事]

安曇野の道祖神の特徴のひとつとして、
彩色道祖神があります。

とくに双体像の道祖神を、それぞれおめかしよろしく
着物や表情に色を塗りこみ、彩色豊かな像碑を作り上げます。

といってももちろんすべての道祖神が対象というわけではなく、
現在でも彩色されているのは約600体と言われる安曇野の全道祖神のうち
旧穂高町の穂高神社近辺を中心に約20体ほどであると考えられています。

どの地区でも基本的に塗りの作業を行うのは地区の子供たちの役目。
大人の指導を受けながら、自分たちなりに色使いを考えて塗り上げます。

昨日は穂高の本郷地区の道祖神で彩色の作業が行われ、
好天にも恵まれたので少し取材に行ってきました。
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ここの道祖神は安政5年(1858)建立で、
大黒天+恵比寿さまたちと並んで祀られています。

エリア一体の彩色道祖神の中では比較的キレイに塗られていることと、
背景に常念岳が写り込む事、穂高駅から徒歩圏内にあることなどから
観光客などにもけっこう人気のある道祖神となっています。

今回は当然道祖神だけでなく大国さまや恵比寿さまたちもお色直しを行い、
三体そろってあでやかさを取り戻しました。
まあ、塗りの上手下手はこの際子供の手しごとということで。。。
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いつの頃からか始まった道祖神の彩色。
子供たちは、、、否、大人たちもその殆どが、本来の意味も分からぬまま
地域の伝統行事ということから続けている作業であると思います。
が、歴史を学び、それを地域の未来に生かしていくというのは
こういう素朴で地道な祭祀を通じて実践できることでもあるでしょう。

願わくば、この地区の道祖神祭りがいつまでも続きますように。
お色直しの済まされた道祖神に手を合わせつつ、
そんな願いを心の中で呟きました。
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(撮影日:2014年4月12日)
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集落のランドマークとして常念岳を見る [マチヅクリ]

安曇野市堀金の扇町と下堀の両地区を歩いてみました。

来月開催される、NPOふるさとづくり応援団主催のふるさとウォッチングin安曇野。
毎度おなじみのガイドウォーキングも、来月の開催をもって早や20回目。
その下見ということでNPOスタッフ数名で予定コースを歩いてみたのですが。。。
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常念岳がどこからでも見通すことができる集落。
というより、まるで常念岳をランドマークとして集落の街路や
敷地内における建物や樹木の配置が計画されたかのような印象。
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田舎の村のことゆえ、集落内には曲がりくねった道が多く、
もちろんどこからでも常念岳が見通せるというわけではないですが、
それでも要所要所のポイントでの風景要素としての常念岳の在り様は
借景として非常に効果的に集落のなかで生かされている感じ。
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これまで安曇野に点在する多くの集落を歩いてきましたが、
今回はとくにこの集落の合間から見える常念岳の姿が印象的ですね。
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都市機能の充実で本来持っていた安曇野の集落景観の魅力が
減ってきているというのも否めないところだと思います。
優れた眺望景観としての存在価値をより強く意識してきたのは
地域住民よりむしろ都市部から訪れる観光客であったり
移住してきた新住民だったりとよく言われますが、そうではなくて
この地に暮らす住民は無意識のなかで常念岳をはじめとする
アルプスの山容を自分たちの暮らしのなかで生かしてきていたのでしょう。
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自然のなかで昔も今も変わらぬ姿を見せるアルプス常念岳と、
農耕が基盤となっている集落形成。
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次回ふるさとウォッチングも面白いものになりそうです。


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