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昔の名前で出ています、という神社 [寺社・狛犬]

前回エントリーの続き。
上波田関連記事の3部作(?)最終回。

松本市波田が一昨年3月まで東筑摩郡波田町だったのは
近隣に暮らす私たちはもちろん知っていることですが、
この町名がかつて、昭和8年頃までは“波多”と表記していたこと、
自分はつい最近になって知った次第。

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田村堂など若沢寺の遺構が残る地に隣接する、波多神社。

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仁王門と明神(台輪)鳥居が並立している姿に
かつての神仏習合時代の面影をしのぶことができます。

さらには由緒を見ると、康治2年(1143)に熊野権現を勧請したらしく、
その点でも神仏習合の所縁を感じますね。
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社自体はそれ以前から存在していたようですが、年代は明記されていませんね。

本殿前に昭和3年8月建立の狛犬が一対。
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台座の記銘によると、石工は名古屋の角田(?)大三郎。(←訂正:六三郎)
ご丁寧に“駒犬専門”という文字も彫られています。
名古屋の石工さんということもあってか、阿吽=獅子・獅子の組合せの点や
全体の印象などが岡崎型とイメージの被るところもありますが、
巻き毛の毛並みが豊かで、彫りのしっかりしたところにオリジナル性を感じます。

とくに注目は、吽形の足元で勝気な表情を見せている子獅子。
2012.06.09.26.JPG
口になにかを咥えているのですが、どうやらなにかの花のよう。
はじめは神仏習合の名残りから蓮の花かとも思ったのですが、
昭和の制作で習合の意識はすでになくなっている時代と考えているうち、
「獅子なんだから、やはりこれは牡丹でしょ」という結論に至りまして。
(もちろん、あくまで私見です。皆さんは何に見えますか?)
いづれにしても、こういうのは自分は今まで見たことがなく、
とても珍しいタイプだと思います。

社殿は一間社流造。
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ご祭神の六柱は男神女神混じっていますが、
千木は外削ぎで鰹木は5本の奇数と、男神の慣例に倣っています。
熊野の勧請を受ける前から祀られていたという
スサノオノミコトたちに準じた様式としたのでしょうね。

境内はとても厳かな鎮守の森に抱かれています。
2012.06.09.20.JPG
2012.06.09.24.JPG
針葉樹広葉樹が入り混じり、スギ・ケヤキ・コナラなどの古木が
古社の歴史を感じさせるに十分な雰囲気を醸し出していました。
若沢寺遺構とこの神社が上波田地区の町なみ整備事業の
ベースとなったであろうことを考えると、なんだかんだいっても
今も昔もお寺や神社がまちづくりの核になるのだということが感じられます。

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