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“おひさま”で放映された安曇野空襲のこと(追記あり) [おひさま]

連続テレビ小説“おひさま”もようやく終戦…というべきか、ついに敗戦を迎えてしまいました。
今日の放送で8月15日の玉音放送の場面がありましたが、
これから夏にかけてはまた戦争を見つめ直すための番組などが多くなって来るでしょうね。

で、先週の放送では安曇野の空襲シーンが放送されました。
もしやと思ってネットでチェックしてみると、この安曇野空襲を
意外に受け止めている人がやはりいらっしゃったようで。
疎開してくる人もいるような、のどかな田舎なのに空襲なんかあったの?…って。

昭和20年5月19日の空襲は、実際にあった出来事です。
きっと地元で生まれ育った人は小学校の郷土の歴史勉強なんかで
空襲のあった事実を勉強する機会などあったことでしょうね。
(私も小学生当寺は生まれ故郷の和歌山空襲に関する学習をした記憶がありますし。)

安曇野暮らしを始めて数年はそんな事実をまったく知る由もなかったですが、
ふるさとウォッチングの資料研究なんかをやっている折に、
そうした昔の…そう遠くない昔の出来事なんかもけっこう知る機会があったりしまして。

安曇野空襲は正確には穂高と有明で、一説によれば
それぞれの地区にある国民学校(小学校)を標的にしたのではといわれています。
当時、本土決戦に備えてのことで、近隣の国民学校などには軍隊が駐屯しており、
それを狙ったのではないかということのようですが。
もっとも、有明の地はもともと陸軍の演習地でしたから、
軍施設の所在地としてピックアップされた爆撃候補地だったのかもしれません。

空襲は、結果として標的だったかもしれない国民学校からそれぞれかなり離れた場所に
数発ずつ爆弾が落下し、そのうちの幾つかが爆発したことにより
即死を含めて数名の死者と多くの怪我人を出す惨事となったそうです。
ドラマでは爆発による爆風で校舎のガラスが飛散する様子が描かれていましたが、
事実として穂高の爆撃でも、
「爆発点から五百メートル位までの家々の戸障子が折れ、ガラスが割れた」
という証言を残されている人もいるので、ドラマのシーンは決して大げさなものではないでしょう。
爆発の影響で粉砕された道祖神の石像も現実にあるそうです。
(7/13訂正:空襲により破損したのは道祖神ではなく、馬頭観音です。)

いま安曇野は水田がのどかに広がる平和な風景を保っていますが、
ほんの数十年前にはこんな田舎でも戦争の悲惨な実体験があったという事実。
近所には当時を知る老齢の先輩がまだ大勢いらっしゃって、
機会があれば時にそうした戦争体験を語り聞かせてくれたりもします。
その折には淡々と語ってくれますが、事実はそんな語り口からは想像もできないほど
もっと生々しい戦いの日々だったのだろうと思います。

2011.6.29.おひさま2.JPG
(穂高の旧小学校跡地。この近くに爆撃がありました。)
2011.6.29.おひさま1.JPG
(有明尋常小学校跡)
2011.6.29.おひさま3.JPG
(有明の中心地ですが、ここにあった小学校は太平洋戦争開戦前に移転しています。
昭和20年当時はここよりもう少し山麓へ行ったあたりにありました。)

(6月30日追記)(クリックで拡大)
2011.6.30.おひさま4.JPG
2011.6.30.おひさま5.JPG
爆撃を受けた地にたてられた遭難碑。
見晴らしのよい水田地帯で、少し離れた場所に有明の国民学校があった場所が望めます。
現在、学校跡地には江戸川区立穂高荘が建っています。

(関連記事)

“おひさま”で安曇野探訪ならぜひ遭難供養碑訪問を
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